3-SHE 「正常と病理」

第3回 「科学から人間を考える」 試み

The Third Gathering SHE (Science & Human Existence)
 
テーマ: 「正常と病理を考える」
The Normal and the Pathological

2012年9月11日(火)、12日(水) 18:20-20:00


会場: カルフール会議室
Carrefour

 東京都渋谷区恵比寿4-6-1 恵比寿MFビルB1
電話: 03-3445-5223


案内パンフレット


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3回まとめ

お忙しい中、参加された皆様に感謝いたします。
お陰様で第3回の試みを無事に終えることができました。


今回のテーマとして、この問題に関係のない人はいないと思われる「正常と病理」を選んだ。講師自身がこの問題に出会った時のエピソードから始まり、病気の捉え方の変遷を簡単に振り返った後、ジョルジュ・カンギレムGeorges Canguilhem, 1904-1995)がその著書 『正常と病理』 (法政大学出版局、1987)(Le Normal et le pathologique, Presses Universitaires de France, 1966)で示した正常、病理、健康、病気、治癒などについての考えを探る形で話は進められた。医学により病気と判断された時、その状態をどのように考え、前に進むのがよいのか。病気とともにある生を創造的なものにする上で、カンギレムの「病気とは望ましくないものでも、避けなければならないものでもない。それは主観的な変化であり、体の全的な作り変えである」という思想には貴重な示唆が含まれているように見える。

新しく参加された方は前回は約半数だったが、今回は約4割であった。複数回参加される方が増えるにつれ、それまでどこかぎこちなさのある会の運営やディスカッションが落ち着いてきて、少しずつ流れるようになってきた印象がある。それから、前回から科学技術の情報を纏めているサイトScience Portalの運営に関わっている方が参加され、サイエンスカフェ欄にこの試みの案内を掲載していただいている。今回、その案内を見て何人かが参加されていたので、その効果に驚くことになった。

前回から始めた懇親会は今回も行った。予期せぬ話を聴くことができる時間でもあり、これからも続けていきたい。今回印象に残ったのは、このような話を日常においてもやりたいが、決まりきった話、何気ない話に終始するか、話をしないことが多く、不満を感じている方が意外に多いことである。ただ、その状態は仕方がないものとして処理されているようで、それが日本では 「大人の対応」 ということになるのだろうか。自制が効き過ぎて、考えが広がらない状態とも言えるかもしれない。少し引いてものを観たり、深く入った時に見えてくることについて日常的に話ができるような空気が社会に満ちてくると、心の閉塞感は大分解消されることになるのではないかと想像している。物だけではなく、精神の世界にも価値を見出す余裕がなければ難しいのだろうか。

参加者からのコメント 
● 御送りいただいたスライドを改めて眺めながら、昨日のテーマが「正常と異常」でもなければ「健康と病理(病気)」でもなく、「正常と病理」であったことを考えております。これらは相対するものではなく、その連続性に意味があると考えるべきなのでしょうね。ただ、その点に充分に思い至らなかったため、討論が深くならなかった事を反省しております。
● 貴重なスライド、 あらためてじっくりと復習させていただきます。異常といえば日常の感覚ではマイナスのもの、忌避すべきものというイメージですが、カンギレムの文脈では 「正常」と「異常」は対概念としては捉えられるのではなく、「異常」とは次の安定へと向かう契機をあたえるものであるという視点は重要だと思いました。と くに老年期の医学・リハビリの哲学を基礎づけるものかと感じました。ディスカッションで出た「正常・異常」と「死」の関係の話題も刺激を受けました。「異常」ということばがほとんどの社会でマイナスのもの、という価値判断を共有されているとするならば、それは異常がすなわち死と結びつけられるからではないか。そうするともし「死」をよいものとしてとらえる社会があれば、そこでは「異常」ということばもわたしたちの社会とは全く違う規範のもとでつかわれるのではないか… と散漫ですが考えがひろがりました。第4回も、楽しみにしております。
● 早速、資料をお届けくださり、有難うございます。色んな方が参加されていて、救われました。必ずしも哲学マフィアの集まりでない事に安心しました。本日の資料で、もう一度復習してみます。今後とも宜しくお願いします。
● 昨日の会は、日常生活を送る中で身近なテーマでしたので、帰宅してからも思考が止まりませんでした! 軽重の差はあれど、病を得ない人はほとんどいない、 また本人だけでなく、家族が病になることも当然あるのですから、治す治さないということとはまた別に、病を得ていかに生きるか、病といかに正対していくか、ということは普遍的に大切なことだと実感しました。
● スライドお送りい ただきありがとうございます。昨日も多様な方々との刺激的な意見交換が得られ、たいへん楽しく有益な時を過ごすことができました。この試みを主宰された先生に改めて感謝申し上げます。今後とも大いにご期待申し上げます。どうぞ、よろしくお願いいたします。
● 資料をご送付いただきどうもありがとうございました。決まり切った思考回路や行動パターンから自由になりたい、と水中でひとり脚をばたばたさせている現状ですが、またよろしくおねがいいたします。
● 先日は猛暑を忘れる会に参加出来、元気が出てきました。医学のテーマを正確に理解など出来ませんが、咀嚼していく過程がとても楽しいです。懇親会で馬鹿話をするのはこれからも楽しみとして取っておきます。なかなかご一緒できない渡辺さんのような方にお会い出来るのも、この会だからだと思います。有難うござ いました。次回を楽しみにしています。
● 先日は、貴重なお話を聞かせて頂きまして、また飲み会でも色々お話をさせて頂きまして、ありがとうございました。お話はとても面白く、私の勉強へのモチベーションもあがり、さらに哲学への更なる興味を持たせて頂きました。
● 遅ればせながら前回の感想です。健康が良いこと、病気にならず仕事や学校に通うのが良いことなど、規範が当たり前として刷り込まれていましたので、カンギレムや先生のお考えはまったく抜け落ちていた視点でした。商売上、規範に沿うまたは規範を生み出すことはなかなか避けがたいのですが、今の日本社会は低成長時代で様々な規範が見直されうる余裕があると見ていますので、もっと人間本来がもっている活力というものに注目した提案をしていきたいと思いました。
● 先日はありがとうございました。現役免疫学研究者のはしくれとして 免疫システム=悪者:病原体に抗い排除するための体のしくみと捉えたうえでの研究に限界を感じていました。そんな中、ベルナールの思考が腑に落ちました。健康と病気との間には量的差しかなく連続している。つまり病気とは数値で表現できるものである。しかしながら生物のダイナミズムは平均値からは理解できない (いわゆる「平均人」は本当に多勢に実存するのか疑問を感じています)。またカンギレムの「個人を時間軸で追うことで病気を理解できる」 「健康とは危機を乗り越える力」との思考もとても新鮮に感じられました。このような視点からの考察を取り入れた免疫学研究の展開に挑戦していきたいです。
● 先日は突然のお願いにも関わらず楽しいセミナーへ参加させて下さりありがとうございました。私がこの分野に興味を持ちましたのは、いわゆる「科学」に躓いたことがきっかけとなっています。・・・考える、分かることはどういうことか、すら分かっていなかった自分、科学とは絶対的な存在だと想像していた自分にとって、「科学」という名の下にこんなにも様々な立ち位置・スタイルがあることに気づき、それらの現実に日々触れ、学ぶ機会が多々あったにも関わらず、本質的に咀嚼することが出来ませんでした。・・・頭に浮かんでくる職業たちを思い描いたときにも、どうしてもその職業自体の行く先や目的を考えると「科学」の在り方や将来への疑問が絡んできてしまい、同じ疑問をもつ方々と話をしたい、まずは積極的に自分の頭の中というレベルから歯車を回せるように、環境の助けを借りようと留学を決めました。・・・このようにとてもふわふわした状況の上におり、大変勝手ではございますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 

フォトギャラリー
2012年9月11日(火)



 
(参加者から提供いただいたものです)


 
(参加者から提供いただいたものです)






2012年9月12日(水)





(2012年9月14日)